さてさて、GWも終わりましたね。皆様、何処かへ出かけましたか?
それとも家でゴロゴロ骨休み?
水瀬は名古屋を詰所として歴史巡りをして参りました!
ものっそい充実感ですッ!!
まずは名古屋まで新幹線で移動。んで、そこからはレンタカーで岐阜まで高速使って行きました。
そんで今回のメインの関ヶ原ァァァ!!!!(超興奮)のっはァァァ!vvv(落ち着け)
入口として関ヶ原歴史民族資料館へ。丁度、400年なんですよね。
ホラ、彦根城が築城400年てことは、三成がいた関ヶ原の戦いから400年てわけですよ。
だって彦根城は佐和山城、他から作られてるんだから!
そして中に入ると早速居たぜ!三成の具足やら兜やらがあるわあるわ!
史跡サイトで見たことあったけど、ホントに無双のまんまでビックリした。
当時からあの髪の毛がついてたんだとしたら、ちょんまげ時代に一人だけ茶髪ばさばさよ?
アレで戦場ですぜ。ワオ、超・個性。
小西さんの持ってた短刀とか三成の財布とか、大筒とか。
「大筒は汚いよな大筒は。ま、こっちにも大筒はあるんですがね」
言っときました。一応(笑)コッソリな。
んで説明やら何やかんや見て回って、写真もバシバシ撮りまくって(写真OK)、
土産物で義トリオの家紋入りのキーホルダーやら西軍勢のステッカーやらを購入。ふわーv
そして関ヶ原の古戦場跡へ。
だだっ広い原っぱ!て感じでした。下手に住宅街になってなくてよかった。家はあるし小学校もあったけど、田舎で嬉しかった。
林の所に関ヶ原の決戦地の碑があり、ちょっと後ろの小高い丘?山?が三成の陣地。
階段ついてたけど、結構キツかったよ…。
そこから見るとホントに関ヶ原が見渡せて、指揮を執るなら最高の場所でした。
でも決戦地がすぐの所で、本当に押し込まれたんだな、と…。悲しくなります。
で、そこから右の方を見ると松尾山が見えて、あそこから裏切り者の小早川連中が攻めて来て、大谷さんが頑張ってくれたんだなぁ…とか。
関ヶ原が見渡せるからこそ、押し込まれていく、崩れていく西軍を見るのは辛かっただろうな…とか。
色々な気持ちが混ざって、悲しかったり、切なかったり…、
でも三成は豊臣家の為に全力で力を尽くして戦ったんだから誇らしかったのかもしれないな、と思うと複雑でした。
この山に、407年前の1600年に、本当に石田三成は立っていたんだ。
…それが事実なのに信じられなくて、まるで本の中の存在のように現実感がなくて、でも確かに生きていて、此処に立っていたんだろう。
不思議な感覚でした。
山なんて当時と地形は変わらないから、時代を超えて同じものを見れている、その感覚にこみあげるものがありました。
時間の関係で他の陣跡は見られなかったんですが(今度は花を持って大谷さんのお墓に拝謁したいです)。
そして伊吹山へ。小西さんや三成が逃げた山です。
此処は確か2人とも別の集落に落ち延びて、結局は捕まってしまうんですが、伊吹山ドライブウェイの頂上から祈っておきましたので…。
次は長浜です。此処は駅前に「秀吉・三成出逢いの像」が目当てです。写真をここぞとばかりに撮りまくる。
佐吉少年、可愛いですねー。美少年、というのも頷けます。
実際に骨格は優男風なので多分かっこいいですよ、若かりし頃は。
近くのコンビニに寄ったらそこが元長浜城の内外堀跡とからしくて、写真もパチリ。
で、最後は彦根。話題のひこにゃんのトコです。
でもなー、このひこにゃんが被ってる兜は三成の兜に似てるんだよなー。
井伊家のものだって分かってるけども、三成の兜に見えてしまう。
太鼓門櫓とか天秤櫓とか石垣とか、色々な城から出来てるリサイクルの彦根城ですが、どれかが佐和山城のものなんだよなー、と別のことを考えながら彦根城を歩く。
天守閣は60分待ちで登ってないんですが、展望から見える景色は立派でした。
アレが佐和山かー、頂上6メートルも削られちゃったんだよなー…そこまですることないのになー。
そして名古屋まで帰ってその日は終了ですー。
次の日は信州の馬籠・妻籠に行って来ましたよ。
そう特に語ることもないので、この辺で。
とにかく歴史はやっぱり大好きですぜ!というか三成がすき!
それとも家でゴロゴロ骨休み?
水瀬は名古屋を詰所として歴史巡りをして参りました!
ものっそい充実感ですッ!!
まずは名古屋まで新幹線で移動。んで、そこからはレンタカーで岐阜まで高速使って行きました。
そんで今回のメインの関ヶ原ァァァ!!!!(超興奮)のっはァァァ!vvv(落ち着け)
入口として関ヶ原歴史民族資料館へ。丁度、400年なんですよね。
ホラ、彦根城が築城400年てことは、三成がいた関ヶ原の戦いから400年てわけですよ。
だって彦根城は佐和山城、他から作られてるんだから!
そして中に入ると早速居たぜ!三成の具足やら兜やらがあるわあるわ!
史跡サイトで見たことあったけど、ホントに無双のまんまでビックリした。
当時からあの髪の毛がついてたんだとしたら、ちょんまげ時代に一人だけ茶髪ばさばさよ?
アレで戦場ですぜ。ワオ、超・個性。
小西さんの持ってた短刀とか三成の財布とか、大筒とか。
「大筒は汚いよな大筒は。ま、こっちにも大筒はあるんですがね」
言っときました。一応(笑)コッソリな。
んで説明やら何やかんや見て回って、写真もバシバシ撮りまくって(写真OK)、
土産物で義トリオの家紋入りのキーホルダーやら西軍勢のステッカーやらを購入。ふわーv
そして関ヶ原の古戦場跡へ。
だだっ広い原っぱ!て感じでした。下手に住宅街になってなくてよかった。家はあるし小学校もあったけど、田舎で嬉しかった。
林の所に関ヶ原の決戦地の碑があり、ちょっと後ろの小高い丘?山?が三成の陣地。
階段ついてたけど、結構キツかったよ…。
そこから見るとホントに関ヶ原が見渡せて、指揮を執るなら最高の場所でした。
でも決戦地がすぐの所で、本当に押し込まれたんだな、と…。悲しくなります。
で、そこから右の方を見ると松尾山が見えて、あそこから裏切り者の小早川連中が攻めて来て、大谷さんが頑張ってくれたんだなぁ…とか。
関ヶ原が見渡せるからこそ、押し込まれていく、崩れていく西軍を見るのは辛かっただろうな…とか。
色々な気持ちが混ざって、悲しかったり、切なかったり…、
でも三成は豊臣家の為に全力で力を尽くして戦ったんだから誇らしかったのかもしれないな、と思うと複雑でした。
この山に、407年前の1600年に、本当に石田三成は立っていたんだ。
…それが事実なのに信じられなくて、まるで本の中の存在のように現実感がなくて、でも確かに生きていて、此処に立っていたんだろう。
不思議な感覚でした。
山なんて当時と地形は変わらないから、時代を超えて同じものを見れている、その感覚にこみあげるものがありました。
時間の関係で他の陣跡は見られなかったんですが(今度は花を持って大谷さんのお墓に拝謁したいです)。
そして伊吹山へ。小西さんや三成が逃げた山です。
此処は確か2人とも別の集落に落ち延びて、結局は捕まってしまうんですが、伊吹山ドライブウェイの頂上から祈っておきましたので…。
次は長浜です。此処は駅前に「秀吉・三成出逢いの像」が目当てです。写真をここぞとばかりに撮りまくる。
佐吉少年、可愛いですねー。美少年、というのも頷けます。
実際に骨格は優男風なので多分かっこいいですよ、若かりし頃は。
近くのコンビニに寄ったらそこが元長浜城の内外堀跡とからしくて、写真もパチリ。
で、最後は彦根。話題のひこにゃんのトコです。
でもなー、このひこにゃんが被ってる兜は三成の兜に似てるんだよなー。
井伊家のものだって分かってるけども、三成の兜に見えてしまう。
太鼓門櫓とか天秤櫓とか石垣とか、色々な城から出来てるリサイクルの彦根城ですが、どれかが佐和山城のものなんだよなー、と別のことを考えながら彦根城を歩く。
天守閣は60分待ちで登ってないんですが、展望から見える景色は立派でした。
アレが佐和山かー、頂上6メートルも削られちゃったんだよなー…そこまですることないのになー。
そして名古屋まで帰ってその日は終了ですー。
次の日は信州の馬籠・妻籠に行って来ましたよ。
そう特に語ることもないので、この辺で。
とにかく歴史はやっぱり大好きですぜ!というか三成がすき!
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