” ちいさなちいさな俺の主

あなたが俺を呼んでくれる限り
あなたが俺を傍に置いてくれる限り

俺の全てはあなたのものです

この命はその為に 流れる血の一滴さえも
あなたと出逢った時から
佐助は 魂ごとあなたのものになりました ”


「さーすーけーっ」

昼下がりの真田の屋敷に元気な声が響き渡る。元服にはまだ遠いちいさな幼子が傍付きの忍を呼ぶ。
私邸だといえ、大声で忍の名を呼ぶなど闇に潜むべき忍を宣伝しているようなものだが、お構いなしにさすけさすけと名を繰り返す。

そもそも上田城下では猿飛佐助の名は大いに知れ渡ってしまっている。
弁丸を連れて街を歩けば民から慕われる真田の気質故に、町民は声を掛けてくる。
その一つ一つに元気良く返事をするのだから、このまま素直で心配りの出来る武士になってくれれば、と佐助は思った。
供ならば他の家来衆を呼ぶのが常で、忍が主と通りを歩くなど聞いたことがなかった。
護衛につけるとしても忍は影に潜み、姿を現さないというのが佐助と世の常識であったが、真田の家風はそんなものは知らぬとばかりに忍を重用する。
弁丸の家臣は佐助一人である他、真田の子といえど次男、それもまだ小さき幼子ならば命を狙われることもないと供も佐助のみで事足りる。
城下にゆくぞ、とねだる弁丸に困りかねた佐助を見て、昌幸は笑い「楽しんで来い」と背中を叩いて送り出されれば選択肢は一つだ。最初の頃は戸惑いながら弁丸に手を引かれ、城下を歩いた。
忍を連れるという物珍しげな町民の視線に居心地の悪さを感じながらも、次々に町の様子を教えてくれる弁丸に自然と歩調を合わせて歩けるようになった。
真田が忍を大事にする風習から、上田の民も忍に対しては好意的だ。
佐助のことを尋ねられると、まるで自分のことのように「さすけだ!それがしの忍でござる!」と嬉しそうに話すもんだから、おかげさまで弁丸の忍、猿飛佐助として嫌でも覚えられていった。

「はいはーい、どうしたの、若」
脇に洗濯籠を抱えたまま弁丸の前に姿を現すと、膨れ面の弁丸が腰に抱きついてくる。
「おそいではないか!」
「ごめんね、俺見ての通り洗濯しててさ」

これが真田の日常。
忍の仕事ではないだろうと仕えた当初は思ったが、今ではこれが普通だ。
実際今の佐助の仕事の8割は弁丸の世話で、残り2割が忍の仕事だ。

忍として腕を磨き経験を積む為に上田を留守にすることはある。
この日もそうだった。半月ほど任務で弁丸の元を離れていた。
勿論佐助がいない間の弁丸の面倒は誰かが見るし、少しくらい戻りが遅れても大丈夫だろうと任務を終えて戻ってみると、弁丸の世話をしていた侍女達は皆疲れ果てた顔をしていた。
佐助がいない分普段よりは大人しかったそうだが、それでも普通の子どもより元気に満ちる弁丸の相手をするのは慣れていない侍女には荷が重かったようだ。
報告を終えて弁丸の元に向かうと、任務に発つ前は平穏だった屋敷が所々黒ずんだように見えるのは気のせいだと言い聞かせて、開きっぱなしの障子の中から主の声がした。
相変わらず元気だなぁと安心しながら廊下に膝をつく。

「猿飛佐助、ただいま戻りまし「さすけぇぇぇ!!!」

言葉も終わっていない内に主が飛びついてきた。
あまりの勢いに体勢が崩れかかるもそこは忍、即座に持ち直して弁丸を受け止めた。
「さすけ!ほんにさすけだな!?」
嬉しそうにぐりぐりと頬を胸に押し付けて、首元にしっかりと腕を回される。
「わ、若」
「なんださすけ!」
久しぶりに顔を見た可愛らしさと自分を待っていてくれた嬉しさで顔が緩みそうになるが、そこは堪えて弁丸の肩を掴んで距離をとる。
「教えましたよね、部下が任務から戻ってきたらどうするか。佐助の主はあなたなんですから。ね?」
普段はどれだけ元気に遊び回ろうとそれはいい。だが、果たすべき役目はきちんとやってもらわなくては主としての示しがつかない。いくら幼くても弁丸は佐助を従える以上、そこだけはしっかりと分別をつける必要があった。
う、と言葉に詰まりながらも佐助から退くと、すぐ前にきちんと座り直す。

「ええと…」
「いつもお父上がされているようになさればいいんですよ」

さりげなく佐助が助け舟を出してやると、うむ、と頷いて姿勢を正す。
貫禄こそ足りないものの醸し出す雰囲気は子どものそれではない。真田の血を引いたれっきとした若君だ。
この将来を見守っていけることが楽しみであり、誇らしくもある。

「たいぎであった、さすけ」
「は。そのお言葉有難き幸せで御座います」

大義の言葉の意味もよく分かっていないだろうに、尊敬する父の真似に一生懸命な弁丸はすぐに顔を崩しておずおずと見上げてくる。
「これで、良いか?」
「うん。よく出来ました」
どことなく不安そうな顔をする弁丸に柔らかく笑いかけてやると、途端に溢れ出しそうな笑顔を見せた。
「さすけ!」
「はーい、おいで」
やるべきことさえ終えたら後は存分に我侭を聞いてやれる。
半月ばかり離れていた分、話すこともやりたいことも沢山あるんだろう。
ひらりと広げた腕の中に迷いもせずに弁丸は飛びつく。
少しの距離も取りたくないとばかりにぎゅうぎゅうと抱きついてくるが、今の自分にも弁丸の温かさは心が休まる。
「お帰りなさいまし、佐助さん」
「後は俺が代わります。ありがとうございました」
弁丸の世話は一番分かっている佐助が戻れば、やっと解放されるとばかりに安堵の息をつく侍女に弁丸の頭越しに会釈をすると、侍女達はそそくさと退室していった。
「いい子にしてた?」
「手習いも稽古もやったぞ!兄上にもお相手していただけた!きのうの夕餉に椎茸がでてな、食べれぬゆえ弁丸の元へ佐助はなかなか帰ってこないのだと父上がおっしゃってがんばって食べたら今日佐助がもどってきたのだ!それでなそれでな」
「焦らなくても全部聞くから大丈夫だよ」
落ち着かせる為にぽんぽんと背中を撫でればますますぎゅうとしがみつかれる。
「さすけ、けがをしていないか?」
「ん?だーいじょうぶ。若こそ転んだりしてない?」
「もう治った!」
「やっぱりね…無傷なわけはないと思ってたけど。さてっ、とりあえず部屋片付けようか。随分と散らかしたねぇ」

ぽんっと叩いて膝から弁丸を降ろす。
見れば部屋のみならず縁側や廊下の方まで散々たるものだ。
手習いの延長線上にあちこち書きなぐられた紙と墨が机や床に飛び散っているし、今しがた通ってきた廊下や壁が黒ずんでいたのもおそらくはそれか、外で遊んだ後そのままの手で壁に触れたか。
どちらにしろいくら侍女達が掃除をしてもすぐに汚されるその繰り返しに大抵は根をあげる。
ほんの少しもじっとしていられない性質の弁丸を押し留めるなど無理な話だ。
自分でさえもたまに手を焼くことがあるくらいだ。

「あと数刻で夕餉だし、その前にこの墨だらけの顔と着物を綺麗にしなきゃね。湯殿用意してもらうから湯浴みしてきなよ」
「だめだ!」
「こーんな真っ黒な手でごはん食べるの?」
ひょいと小さな手を取ると、案の定掌や腕の辺りまで墨で汚れている。
とてもじゃないがこの状態で夕餉の席につかせるわけにはいかない。
この分だと抱きつかれた自分の小袖もあちこち黒々と染められたことだろう。後でまとめて洗ってしまおう。
すると弁丸は掴んだ手はそのままに上へ下へと落ち着きなく腕を振る。
自然と佐助も引っ張られて己の意思とは無関係に動く腕を眺めていたが、元気だなぁと弁丸の好きにさせていた。
「ちがう!さすけも疲れておろう。一緒に入る!」
「えー俺ぇ?若が入ってる間に部屋片付けときたいんだけどなー」
「ならぬ!そばにおれ!」
「もー俺の主様はわがままなお人だなぁ」

腹の底から込み上げてくる思いを隠すこともなく、ただ主がここにいて、自分を必要だと言ってくれる、それだけでこんなにも満たされる。
子どもらしい我侭とそこに含まれた己への気遣いを無下にするのは申し訳ないし、今更忍だからとか部下だからとか言ったところで聞き入れてくれるひとじゃないのは分かってる。
そんなことを主張していても真田に仕える以上、これが当たり前なんだと開き直れば案外気も楽になることに気付いた。
それでも主従の線引きだけは忘れてはならないと自分に言い聞かせる。先程の挨拶もそれだ。
その境を持ったままで、主が求め自分に出来ることがあるならば最大限のことをしてやりたい。
ちいさな我侭も、ちいさなこの手も、腰にも満たないちいさな背丈も、全てがこの人を形作る。
いつかこの人も大きくなり、武将として戦場に立つ日が来るだろう。
その日まで、そしてその先も、自分の全てをかけて守っていかなければ。それが自分の最大の役目だ。

「さすけぇ・・・」
だめか?と情けない色が瞳に浮かぶ。そんな叱られた犬みたいな顔しなくても、怒ってなんかいないよ。だめだなんて言ったりしない。
墨だらけの頬に手を当ててむにむにと柔らかな感触を楽しむ。
「いいよ、久しぶりに一緒に入ろっか」
「まことか!?ならば早くいくぞ!」
「ちょっと待ってまだ湯殿の用意なんて出来てないし、着替えも」
遠慮なくぐいぐいと佐助を引っ張っていく弁丸に、廊下の先にいた侍女が声を掛ける。
「湯浴みでございますか?」
「うむ!さすけもいっしょだ!」
「すみませんね、気が早くて。用意して貰えるとありがたいんですが」
「いいえ、お2人の声がこちらにまで聞こえていたものですから。勝手ながら用意させて頂きましたよ」
仲の良い兄弟を見るような微笑ましいそれに気を回した侍女達が、聞こえてきた会話から意図を読み取り湯殿や着替えの用意をしていたという。
その手際の良さに感嘆する佐助に弁丸は満足そうな笑みを見せた。
「あらら」
「さすがだな!ゆくぞ!」
「うわ急に引っ張んないで」

手を繋いで湯殿へ向かう2人の様子は主従というより兄弟。こんな関係もひとつの形。
今日も真田の屋敷は元気な声に押し負けんばかりに賑やかであったという。



――――――――――――――――――――――――――――――――

幼少主従を無性に書きたくなった所存にございます。
リアタイで見てたら分かるんですが、今まで此処に上げた真田主従のお話はプロットやら何もなしで直に打ち込んでおります。
途中でぶつっと途切れてたりするのは、そこまでしか書けてないという単純な理由から。
構成?土台?いや、その時のノリで突き進む。
気分が一番乗ってる時にそのまま打っていった方が進むし、何より楽しいです!
ちゃんとしたお話は別に作ってますが上げるかどうかは分かりません(笑)
自分が書いてて楽しいと思えないものを(内容じゃなくて、書くという過程を楽しんでるかどうか)
人様の目に触れるところにあげてても、読んでも楽しくないのではと思うんです。

ちっこい頃の主従が書きたいなーと思ったらこんなんできました。
いつの佐助も幸村には振り回されてナンボです。
実は一番悩んだのが弁丸を何と呼ばせるか、です。
「弁丸様」か「若様」か…いや、様より、幼少時はもっと近い位置づけだから………若?
あと佐助の口調ね。敬語使うか、今の佐助の元になる形か。
昔の佐助は無口でツンなのもいいんですが、ほだされて今の形になるというよりは、幼少時はべたべたの甘々でいいんじゃないか?と思う。
佐助は弁丸を思いきり甘やかして大事に育て、弁丸は佐助にあらん限り愛されてきたことが染みついているから今の2人がいるんです、きっと。


うううう文才が欲しい・・・綺麗な文章を書ける人ってほんと尊敬します・・・。

コメント

nophoto
みい
2009年12月6日17:26

十分いい文章かけてると思う。心温まる話が体の芯まで伝わってきます。
佐助と幸村の主従が好き。